愛は技術

on 12月 3, 2016 in Diary

最近は、読んだけど完全に理解しきれてないかなーっていう本を中心に再読してて・・・フロムの「愛するということについて」、ジンメル「愛の断想」と来て、ショーペンハウエルの「幸福論」まで来た。哲学系ばっかり。

恋愛の話というよりは、親心や恋愛から始まって、博愛精神的な話に辿り着きます。哲学ってそういうもんです。(モテたいなら社会学、歪んだ愛について知りたいなら心理学ね。)

 

 

フロムが本を出したのはすごい昔なんですけど、その当時の若者に対しての書き出しがすごい面白くて好き。現代語訳にすると(嘘、記憶を辿って適当書いてます)

 

愛っていうと相手から「愛される」ことばかり考えてない?相手に気に入られる性格とかステータスとか美しさとかの心配ばっかり。運命の人に巡り合ったら、愛が始まると思ってる?それって愛じゃなくて「恋に落ちる」と混同してるよ!恋に落ちた情熱がアツいのってさ、要は出会う前までどんだけ一人で寂しかったかってギャップじゃん。その勘違いガチ引くわー。「愛する」ってのは木工とか料理みたいにさ、技術なわけ。生まれつき愛せる技術が高いわけないから、技術高めてこ!

 

みたいな話。技術なので、最初からうまくできる人は少ない。スポーツで練習しても試合の空気感って実際やらないと分からないじゃん?そんな感じで参加してピンとくる物かも。

私のことを優しいと言う人も居ますが、愛している姿が優しく見えるというだけで、人からどう思われるかなんてスルーです。つまり人に愛されて幸せになるのではなく(愛され専念が許されるのは9歳まで。あとでまた言います)、徳を積んで自力で幸福を得るみたいなことをしている結果、好循環になっているってだけだと思います。

 

 

1. 愛ってなんだ

 

ためらわなーいこーt(ry

 

最初に思いつく、親とか恋人の愛。これは愛の一部なんだけど、親は私が娘だから愛してるわけで、恋人だったら私が彼女だから愛するわけじゃないですか。それは私だからであって、排他性があるの。他を排除する性質ね。

フロムはそういう「家族は愛してるけど上司は愛せない」という排他性を「根本的にそれって愛してないわ。こっちがいいって比較みたいなもんじゃん。」と断じます。えーと漫画のヴィンランド・サーガだっけ、王子が愛を悟るくだりを今思い出した。あれですあれ。身内だけ愛してるっていうのは比較にすぎない。

対象が誰であっても、愛が意識的に行う技術なら出来るはず。弘法は筆を選ばない。入口はなんでもいい。恋人、親、子、お金、物・・・それらの愛する対象を通じて、世界全体を愛する、受け入れる、それが愛するということ。自分を愛することでもいいんです。(あ、でも自己愛、ナルシシズムは逆です。あれは実際のところ自分を愛せない状態のことです。)

 

フロムの本を読んでて思い出したのが、昔読んだジンメルの「愛の断想」。断想って、ちょいちょい思いついて書いたメモ的な意味。フロムが入門書で、ジンメルが一問一答みたいな感じです。でも、だいたい哲学者が言う「愛」っていう概念が行きつく先は同じです。

 

正直、愛ってみんなが使う言葉だけど、実践となると難しい。だから多くの人が「愛されている」ことを試そうとして、関係を壊す。愛って何か分かってないから、相手の中に愛を見つけようとしてしまうってこと。でも相手の言動よりも自分で頑張れってフロムは言うわけですよ。

 

愛はふわふわした概念だと思いがちですが、逆です。最も達観した現実主義。愛する人がいるこの世界全体を認識し、尊重し、責任を持って参加し、受け入れるということ。悟りを開いたまま現世に居るみたいなタフさ。愛するということの最終形態がそれだと分かれば、排他性を持った愛はちょっと違うなって分かりますかね?

 

 

2. 「愛する」ってどういうこと?

 

フロムの著書から、また現代語訳という名のうろ覚え言いましょうか。

中世ヨーロッパとかは結婚相手って家の都合で決められてたわけ。貴族だけじゃなくてさ、農村の年頃の子同士とかさ、親が勝手に決めちゃったわけよ。政略結婚だったら離婚もダメなわけ。だから昔は愛って技術だったわけ。だって先に相手が決まっててさ、結婚してから愛さなきゃいけなかったんだから。今の人は自由恋愛になって、ダメかなーって思ったらチェンジできちゃうから、技術磨く人減ったよね。

みたいな感じ。今は恋だけでも結婚して家庭を築いていいのかもしれない。カジュアルにチーム組んだりチェンジしてもいい時代になったという見方も出来る気がする。だからこそ、昔の人みたいに「相手を愛する技術を磨かないと」っていう義務がない昨今、習得は余計に難しいだろうってことです。

 

 

愛するってどんなことだろう。一番わかりやすいのは赤ちゃんですかね。人は母性愛・父性愛という形で愛の技術を磨く機会があります。でも赤ちゃんはまだあなたを愛していない。9歳くらいまでは「無条件に愛される」ことに専念します。でも赤ちゃんが報いてくれなくても、気にかけ、成長を見守り、世話をし、受け入れるわけでしょう。

これもさっき言った親や恋人への愛と同じで、愛の一部。赤ちゃんへの愛を通じて、世の巡り会わせや自分の人生に感謝するような状態が、愛するということに近いと思います。

 

ちょっと私の仕事の話に逸れますけど、生まれたら即愛情スタート!ってわけでもないんですよ。育てていくうちに愛せるようになるかなぁって言いながら、いつまでも愛せない事で悩んでしまう親御さんたちもいるんですよね。だから「誰もが赤ちゃんゲットで愛情スタート」的な風潮がプレッシャーになる人もいるって事も知ってほしいです。

 

 

3. 歪んだ愛あるある言いたい

 

フロムはこの本で歪んだ愛、病的な愛についても細かく解説しています。例えば前述の親子の愛。「良い子じゃないと愛されない」というのは無条件の愛ではない。だからフロムは「それって支配とか洗脳みたいな歪んだ愛だよね」って言います。似たような例だと、「彼氏なら毎晩電話してくれたっていいのに」とか、「彼女なら言わなくても分かってくれるはず」という相手に言動思考を期待するのも、愛ではありませんね。それは要望の押し付けです。

 

今でも心理分析のなかでよく感じるのが「投射」。自分の問題を愛する相手の欠点だと思い込み、自分を棚上げして喧嘩するような状態。これもう一つ有名な例があって、「離婚したいけど子供の成長に良くないから」というもの。これも投射だと言われます。自分が別れたいというモヤモヤを、子供のためだからっていう大義名分に変換して、自分は悪くないことになってますよね。

 

不満を隠蔽しているとどんどん歪みが酷くなるので、コミュニケーションは本当に大事です。言わなければ考えてないのと同じ。人間は社会的動物だからな。何のための舌だ、耳だ。愛するって難しいんです。本当、仕事が忙しくなるの嫌なんで、みんなコミュニケーション能力磨いて、自力で立ち直ってください。私が廃業しても、世界が平和ならその方がいいです。

 

 

4. 愛するって具体的に何すればいいのさ

 

フロムが言う「愛する事」を分解すると、配慮、尊重、責任、理解の4つで構成されます。

 

まず相手に配慮する事。デートで明朝3時俺の家の前集合!とかKYにもほどがあります。相手の予定や交通手段に配慮してたら、そんな提案はあんまりできません。近所の幼女に「愛してるから肩車してあげるね!」とか言ったら事案になります。「愛してるから貴方を殺して私も死ぬ」、これもだいたい困りますよね。

相手に配慮した行動をとる事。あるいは相手に配慮して「あえて黙る」ということもあります。面倒だから何も言わないのではなく、相手の発言するチャンスを潰さないという意味で、相談援助技術では「積極的な見守り」とも言われる難易度の高い接し方です。そういった配慮の上で適切な言動を取ることが、愛することのひとつ。

 

次に尊重。相手もまた信念を持つ人間なので、自分色に染めようとかじゃなく、相手が相手らしく居られるよう、領海侵犯せずに、相手の個性を尊重する。そもそも、相手に確たる芯がない場合は支配になりやすい。逆に自分に芯が無い場合、相手に依存する傾向が高くなります。互いに芯の無いカップルだと、共依存ですね。正しく愛するには、まず自分の芯を持たねばならないんです。誰かにもたれかかる状態を愛とはいいません。自分の足で立ってこそ、愛することができるとフロムは言います。

 

そして責任。誠実に接し、信頼を得なければ、いくら愛しても受け取って貰えない。「愛しているけど愛されていない」はOKですが(そもそも見返りを求めるのは押し付けなのでアウトです)、「愛しているけど拒絶される」はアウトです。親子の場合は養育義務だったり、恋人の安否連絡などの責任は果たさないと、信頼を得ることができません。愛してる!って連呼する割に、たまにしかご飯をくれない親だったら、ちょっと愛されているか心配にもなりますよね。信頼を得るには、誠実に接していると証明せねばなりません。頭の中で「信じてー信じてー」とか念じるだけで信じて貰えたら苦労しませんよ。何かやれ。

 

そして最後に、相手を理解すること。これまで言ってきた「配慮、尊重、責任」は、相手を知らないとできません。要望や性格、夢、好ましい距離感、食べ物の好みとかね。具体的に言えば、赤ちゃんがお腹が空いて泣いている時に、おむつを替えてあげることは、愛ではありません。それは赤ちゃんの要望を理解していないからズレる。高所恐怖症な彼女とスカイツリー展望台でデートするのもアウトです。相手のことを知らないと、適切な愛を与えることはできないのです。

 

この4つを対象に行うことが、愛するということなのです。

 

 

5. 愛スキルのトレーニング内容

 

これまで愛の定義なんかを話しましたが、愛するという技術を身に付けるには、感受性を磨き、自分自身と相手を信じ、勇気を持って行動すること。フロムお前それだけ語っておいて具体例それだけかよって思うよね。しかも「技術の習得なんだから、気が向いたときだけやってたら身につかない」とか追い打ちをかけてきます。トレつらい。

 

たぶん最初に感受性。物事に対する自分の印象を把握する能力です。例えばA君が私に会いに来てくれて嬉しかった。B君の言葉を聞いて思いやりが無いなあって怒りが湧いたみたいな、自分の喜怒哀楽を自覚できていますか?なんかイライラする、その「なんでだか」を言葉にできますか?これはもうアウトプット訓練(書く、話す)あるのみ。プロとして言わせてもらうと、頭の中で考えているだけじゃ修練値にならないです。「あっこれが愛かな?」って思うには、日ごろから感受性を鍛えておかないと、見逃すってことらしいです。

 

そして信じる事。逆境の中でもぶれず、私は私だと言える、生涯変わらない根底となる芯。でもそれも、自分がどういう人間かっていう事を考えないと、自覚する機会はあんまりないと思います。そういった信念を明確に把握しておけってこと。

前にTwitterでも書きましたが、自分を信じられる者だけが、相手に誠実になれる。カラオケいこうねって言って何度もドタキャンしたら約束してもらえなくなる。これは愛でも友情でも共通。意見を翻すのはいいけれど、芯がころころ変わったらダメだよねって、フロムは言います。

逢う度に判断基準が違う人ってたまにいますが、確かに混乱するし、話が進めにくいから、正直仕事の依頼はしなくなりました。仕事が出来ても、そういうコミュニケーションの部分でダメだと、やっぱ信頼できないんですよ。

さらに、他人の可能性を「信じる」ということも含みます。愛されている相手だって感情があり、今後変わって行く可能性がある。「自分の思う通りに変わってほしい」では洗脳、支配。それは歪んだ愛になりますね。ここらへんは愛すること自体の実践でも使うので、事前にしっかり自分をもっておけってことです。

 

最後に勇気。なにしろ何の根拠もなく働きかけないといけない。自分が愛せば相手も愛してくれるかも!なんて希望に身をゆだねて行動しなきゃならない。「愛する」というのは動詞なんです。マッシヴアタックもそう歌ってました。ティアドロップ名曲ですよね。つまりね、どれだけ心の中で考えても、空想だったら意味ないってことです。そりゃ「俺の考えた最強彼女」だったら何やっても喜ぶでしょう。そんなの続けてたって修練になりません。

 

もちろん愛するに王道はないです。それはフロム自身も認めてます。手探りで技術を磨いていくものだから、間違うこともあるし、自己流で変だったりする場合もあるわけです。自分なりに1つ愛せるようになったら、2つ目も愛してみればいい。どんどん愛する物を増やせばいいわけですよ。

 

 

いつでも誰でも愛せるわけじゃない

 

もちろん私だって、「いつでもみんな愛してる☆」とか浮かれません。無理なものもあります。最近は英字ランクを越えた感じですが、私だって明らかに寄生狙いで近づいてくる仕事相手とかは、愛する世界の外に追いやります。つまり存在を認めないっつーことです。でも可能な限り、いろんな人や現象を受け入れて、自分の視野、世界を広げていきたいです。

 

一例ではありますが、私は自分なりに世界を愛しています。世界は綺麗ごとばかりではありませんし、苦手な人や事もありますが、それでも私は世界に属した人間として生きていたいし、世界にいる人々の役に立てるなら立ちたいです。とはいえ宇宙全部隅々まで愛してる!とまで言わない。自分の目の届く範囲、自分の視野いっぱいに広がる世界を世界全体としていいんです。出来る所から広げればいいし、愛せるものから少しずつ愛を広げればいい。

だんだん「愛する」ということが息をするように身につくようになると、苦手な人や物でさえも「苦手だけど愛している」という感じで受け入れられるようになっていきます。目を逸らす範囲が減れば視野も広がって、自分から見える「世界」は広くなる。だから寛容な人間になれるというものです。

 

そんな私の愛する対象、つまり愛の入り口は、自分自身です。自分を何より愛する私、さすがスキゾイド人間。意外と根はパサパサだったりするんですが、意識的に「愛する」と、あたかもウェットで幸せそうな人のごとく補えるってーことです。

私はそういう根本的な「性格」って、幸福係数だと思います。1の幸せに対して、性格と言う係数をかけると、結果で「自覚している幸福度」になるというか。難しい性格の人は社会で生きづらいし、前向きな性格なら日々の幸福を感じやすいし、卑屈な性格なら幸運に恵まれても幸せに感じにくいでしょう。そういった性格を変えるのはまず無理です。それなら楽に幸せに生きていくため緩衝剤で包む方が楽。つまり「愛する」姿勢っていうのは、性格に丸みを持たせて自分を楽にしてくれる、自分に自信を持って強くしてくれるようなものだと思います。

 

なかなか愛するのも楽ではないですが、愛する能力を高めることは自分の「人としての在り方」に繋がる資質、徳と共通します。この資質が幸福な人生か否かを決定づける。ってことで次回はその話。私の愛する「深窓の偏屈爺」ショーペンハウエルの幸福論。どういう資質がある(or育てる)と幸福になれるかという本。

 

それが消化できたら、以前から何かと単語だけ出していた「スキゾイド・パーソナリティ」についてでも説明してみようか。たまに逆境に出会うと、私はこの問題にぶち当たります。このハードルをクリアしたいために、愛スキルのトレをしているようなもんですね。スキゾイドな性格を変える努力をするくらいなら、宇宙全体を愛する方がよっぽど楽です。対象が内より外の方が楽なんですよ。

 

そこまで進むと、さっきTwitterの方で言った「スペインの物乞いに小銭をやる価値があるの?価値のある物乞いと、そうじゃないのといるんじゃないの?」っていう私の疑問にやっとたどり着くわけで。そこに至った頭の中を、こうして少しずつリプレイしていくと、だんだん余計なものがそぎ落とされてスッキリします。

 

考える事に対して、書くのが全然追いつかないんですけどね。マイペースにただ書いてるだけなんだけど、書かないと、将来振り返った時に、自分がどこまでどう理解していたか忘れるから、やっぱり「自分なりに分かりやすく書く」ということは全ての学習に共通して最も理解を進める方法です。

2 Comments

  1. 次はぜひ心理学の記事を!!!熱望します!!!

    • それなら得意分野だ!なんでも答えちゃうよ!お題プリーズ!

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