友達、いますか?

on 4月 4, 2017 in Diary

すごいタイムリーに記事書いてると思ったら大間違いだぜ。今日の日記は下書きが去年だ。私自身も何をどう落とし込むか考えてないので、日によって話題を挟んだり消したりして今日に至る。でもいつまでも下書きが残っているのは職業上不愉快なので、まず1歩。少しずついろんな話をしよう。心理学ベースの話になりますが、社会学がたまに混ざってもメンゴ。

 

今日のお題は友情にしよう。明日はたぶん相談援助技術。

 

1. 真の友って何だ

 

本来これを今書くタイミングだとは思えないんだが、今日あまりにも落胆したので、書いておく。我らが心理学の祖父、河合先生の本で、かつて学生だった河合先生がこう言われたという。

「夜中の12時にトランクに死体を詰め込んで家を訪ねても、まず家にいれてくれて話を聞いてくれる人」

ここのポイントは、その友人が、殺人を責めるでもなく、隠蔽に加担するでもなく、とりあえず事情を聴こうかって扉を開いてくれたというところです。

 

最近の若者は、少し不思議な距離感を持っていると感じます。昭和のBBAたる私が「これだから最近の若者は」とか言うわけじゃありません。私だって若い頃言われてきたから、うぜえのは承知です。そうじゃなくて、友達の悩みに一歩踏み込まないよそよそしさが、平成生まれ以降の子によく見かける印象です。

もちろん、私の世代や、もっと上の世代でも、友達のために一肌脱ぐとは限りません。冷たい人もいるし、助けようと思えないような友達未満の知り合いもいます。相対的に多いなあと思うくらいです。ゆとりバッシングがあるたびに私は主張しますけど、平成生まれの子は幼少期に全国的な事件が多かった。オウムとか震災とか、価値観がひっくり返って、大人を尊敬しきれないような境遇で育つしかなかった。ゆとりとかそれ以前に、運が悪かった面はあると思う。それと同時に、価値観のゆらぐ時代だからこそ、芯の強い子たちもたくさんいる。いろんな人が居るし、一概に決めつけたりはしません。

 

でもここ2年くらいかな?いろんな若者と話して、私達の時代とは違う感覚の友情観があるなと感じます。一番気になったのは、縁を切ることが容易であること。COするとか、FOするとか言いますよね。フレ切るとか。友達を支え合い・お互い様と捉えてるように思えない発言をよく聞く。むしろチェスの駒のように、面倒なら切り捨てるくらいの駒扱い発言をよく見かける。それくらい一期一会な世の中になったのなら、それもいいんでしょうけどね。私は否定はしません。その人、その世代ごとに価値観は違うのだから、私がジャッジする身分じゃありません。

 

今の若い子は、動画サービスで昔のドラマを見たりもするでしょう。友達のために叱ったり、体を張ったり。それは今ではファンタジーみたいなものですが、私より上の世代ではそれが現実だったそうです。私も登山をやっていたので、命がけの道もある中でお互い真剣に相手を思って説教したり、喧嘩したり、手を差し伸べたりしたことがあります。今の子はたぶん、そういうグループワークのアツさを経験する機会に恵まれなかっただけなんだと思います。内心は誰よりも周りの幸せを想っているけど、一歩踏み込めない、どう踏み込んでいいか分からない、そういう遠慮が強く働いているのを、カウンセリングなどでよく目にします。

 

 

あ、言い忘れてましたね。私は心理カウンセラーで、精神科以外にも医療ジャーナリストとして、「説明をする」ことがライフワークだと自負している人間です。なので、若い子の面接とかそこそこ見てるんです。根底に、自分が言って傷つけてしまうかもって怯える子もいます。私は全部の事情を知らないからしゃしゃりでても恥をかくかもって遠慮する子もいます。むしろ遠慮の子多いですね。ここらへんはあとで後述します。

 

私がカウンセラーであれ、昭和の人間であれ、たまに友人に怒ることがあります。こんこんと説教をして泣かすこともあります。でも、私は相手の事情なんか全部知らないし、一生を費やしても知ることはできません。じゃあなんで偉そうな事言うのかって?言って良い部分と、言わない方がいい部分があるだけなんです。倫理的に踏み外しそうなとき、不義理や自傷他害をしそうなときは、叱っていいんです。叱られたくて踏み外そうとチラチラする人もいます。(友情を試すってやつです)

 

叱ってみて効果が無いなら、じゃあその程度の知人だったんだなって終わっていい。その人が踏み外さないように、自分なりにできることをしてあげられたんだから、もういいでしょう?でも事情を全部知ってるわけじゃないから、叱るけど、「最終的にどうするかは決めつけない」事が大事なんです。こちらがいくら説得しても、友人が社会倫理的に誤った判断をすることはあります。それは仕方がない。判断する権利、もっと言おうか。「人生を間違える権利」を人は持っていて、誰にもそれは明け渡せない。

医療だって、治すことが最善ではなくて、本人がどう生きたいかという意思を最優先しているんです。決めるのは本人だけど、知らないなりに友として語りかけるのはいい事だ。押し付けなければねw

 

真の友で居たいなら、間違っているのではないか?と真顔で向き合ってあげるのは親切です。どーせ人間1人分の視野や知識なんて小さいもんなんですよ。すげー視野狭い。だから友や家族に相談して、いろんな人の視野から見た意見を聞いた方が、道を踏み外しにくい。だから言わないよりは言ってあげた方が、その人のためにはなる。

それでも間違った道を進むなら諦めてもいいし、道を戻ってきたときに「おかえり」って言ってあげてもいい。意見を言うことは相手を支配することじゃない。そこの区切りが分かっていれば大丈夫。真剣に話せる友達、みなさんは居ますか?間違ったこと言うかもしれないし・・・って黙っている間は、深い友情にはなれないんです。少しずつやりましょう。真面目に現実と向き合いましょう。仲間とw

 

また自分が困難にあった時、どれだけの人が叱ってくれるかもありますよね。熱があるのにゲームしてたら怒られたとか、それは大事な友への友情でもあります。真剣に自分の顔を見てくれる、真面目な話をしてくれる、そういう友に恵まれたら、大切にするべきです。一番の友は、苦言を呈してくれる人ですから。愛想笑いしてくれる野次馬がいっぱい欲しいなら、別にいいけどね(笑)

 

そういう真剣な友情は、ループします。助けてくれた友人を助けるチャンスがあったり、お互いに幸せになれるようなニュースを披露したり、なんだか一緒に居るだけでほっとしたり。信頼できる友は、都合のいいフレではない。うるさいなぁって思う時もあるかもしれない。でも、自分のためを思って一歩踏み込んで話してくれる友達は、簡単には見つからない。

 

そりゃ怒られるようなことは嫌だろう。でもそれから逃げてたら、愛想笑いの知り合いしか作れない。いざという時に頼ろうと声をかけても、みんな相槌だけ打って消えてしまう。いいんだよ間違って。間違ったアドバイスしちゃってもいい。友達が間違った方向に行ってもお前のせいじゃない。でも誰かのためにアツくなれないと、自分にアツくなってくれる人なんていないよ。現実の楽な方ばっかり見ても、上辺の楽しさしか味わえない。概ね空虚感を味わうし、孤独感も強くなるだろう。孤独が怖いなら、人と向き合って欲しい。若い子はまだこれからがあって、向き合うチャンスがいっぱいあるんだから。もったいないよ。

 

ってね、元相方の件で、さすがにそういう行動を平然と続けてたら、友達無くすよなーって事はあるんです。でも私の事ずっと無視してるくらいなので、私の話は聞かないだろうし、私ももう関わりたくない。だから、共通の友達で事情を知る人に、せめて少し正してあげてほしいって頼んだ。でもみんな、その人には言いたくないって。

相方で仲が良かった頃、友達が少ないって悩んでるのは聞いてた。今、どうしてそうなのかの理由を私は知ってる。これから仕切り直して、良い友情を育んでいけばいい。でも伝えられないし、彼の友人たちは一歩踏み込むつもりはないようだ。真剣に向き合ってくれる人が居ないで、上辺の楽しさで暇を潰して、孤独感に悩む。それはすごく憐れみを覚える。

 

人生恥なんていくらでも書いてイイんだよ。身近な誰が真の友情を墓まで持って行ってくれるか分からない。せめて少しだけでも自分に正直に、周りに見栄を張らずに、思った事は率直に伝え、相手の判断を尊重する。そういう積み重ねが、友情を深める技術です。

 

ちょっと全部書ききれないので、続きは後日!

 

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