人間の愛について

on 3月 8, 2018 in Diary

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先日からうすぼんやり考えていたんだが、「無償の愛」という言葉を聞くとなんか微かにイラっとする。哲学的思索として、私もたびたび「愛」について語っているし、哲学的な愛の究極形態は「無償の愛」でいいと思ってる。でもな、哲学でも、心理学でも、社会学でも、「無償の愛は現実には存在しない」と言うんだ。暗にそういうお約束なんです~なんてレベルではなく、明記している書籍も結構ある。だから私は「無償の愛は無いと教わった」という土台からスタートして、「なんで無いのか?」を考える。

 

人々が「無償の愛」と言ってしまうのは、その概念があまりにも美しいからなんだと思う。だってそれ、イデアでしょう?我々は目に見えない「無償の愛」っていうイデアを具現化しようと、不完全な愛を書いたり描いたり語ったり行ったりしてるんだと思うんですよ。

 

そもそも「無償の愛」ってなんだよ?聖書だよ。マタイの福音書から出しますよ。

[5-45]天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
[5-46]自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。

 

45節は「神様の愛はどんな人にも恵みを与える」と説明しています。それが誰であっても等しく自然の恩恵を与える。私でも、あなたでも、善人でも、クソ野郎でも。神は人々から代償を得るわけじゃないので、これを「無償の愛」と言います。

んでもって46節に出てくる取税人は税金を過剰に取り立てて私腹を肥やす嫌われ者みたいなもんです。そんなヤツらでさえも「愛してくれる家族」のことは愛する。そんなん別に褒められる行いじゃないよね。だってあのクソ取税人でもやってることじゃんなあ?

 

「無償の愛」の定義をハッキリさせると、書物たちが「無償の愛は存在しない。いいね?」って明言しちゃう理由もまあしょうがないかなって。もちろんあなたが全世界の人に太陽の恩恵を与えられるんなら、無償の愛語っちゃってもいいと思うんですけどね。そんな「東京出て一旗揚げる」とか「一生幸せにする」レベルとは難易度が違うんですよ。出来ます?私は出来ませんよ。だから私は「無償の愛なんて人間には出来ん!」って結論を出します。

 

ここまでは普通の話で、神学とか哲学やってりゃだいたい分かります。こっから先は私の持論が入ってくるので、歪みます。説明も雑になります。

 

 

本当にPvPで「無償の愛」って無いの?ってちょっと思う人いるよね。

 

例えば純粋な愛の告白はどうなんだ?愛の告白って、普通は返事を求めますよね。あわよくば愛してほしいから、愛していると伝えるんじゃないですか?そしたら「愛し返す」という見返りを求めているから、無償ではないと思うんです。なんですって?愛してほしいわけじゃないし返事が欲しいわけでもない?たまにいるよねーそういう人。本気でそう思ってるなら言う必要はどこにあるん?愛してることを「知って欲しかった」んなら、それも無償じゃないよね。通常我々が行う行動は概ね見返りを求めているわけですよ。契約社会を形成する人間なんだから、そのへんはある程度はしゃーないとこです。

 

別に見返りは求めてない!って言う人もいます。その言い方がすでに見返りを求める行為な気がします。見返りが本当に要らないなら、黙って物陰から想ってりゃいいじゃん。

 

そもそも、見返りを求めてないっていう「誰かを愛してる人」はタチが悪いんですよ。愛する自分だけが提供してると思ってやがる。例えば「見返りは一切求めません、私はずっと愛してます」と言ったとしよう。言われる側は、「愛される」という状態を受け入れるか、「死ね豚野郎」って輪廻を回してやるかの2択です。OKかNO。NOはもう愛が消え去るので、無償どころか蒸発の愛なんで、これ以上彼を責めないでやってください。OKは「てめーから愛されても構わないんだぜ」って愛を受容する。受容してほしいという想いが、愛の下にあると思う。だから無償ではない気がするんだ。

 

その愛が重いとか、全然気にしないとか、そういう「相手がどう受け止めるか」なんていう問題は些末です。あくまで「無償の愛は存在するのか?」なので、どういう人がどういう言動をすれば無償の愛を与えたことになるのかっていう問いですからね?

 

例えば私がAさんを愛しているとします。Aさんが「うっわサイアナイドきっもwww」って思おうと、「サイさんしゅき/////」って思おうと、『サイアナイドが無償の愛を提供したか』には影響しないですよね。分かりますかね?無償でも下心があっても「きっもwww」って言われる可能性があるから、どっちだっていいんだよ!察して!(つらい

 

じゃあ「サイさん私の事好きなの?へぇ別にどうでもいいけど」って返されるケースを考えましょう。Aさんにとってはどうでもいいし、負担にも喜びにも感じてないとしましょう。それでもサイアナイドは「Aさんを愛してるという自分の事情を知ってもらう」ために言ったわけです。自分の事情を相手に理解してもらう、自分の感情を受容してもらいたいという欲求、これが無償ではないと考える理由です。

 

「誰かを愛する」っていうのは主観なので、どうしても自分から与える方向ばかり目がいきがちなんですけどね。でもお前らもう少し考えろ。お前が投げたボールをキャッチしてる相手がいるんですよ。不満なら壁野球でもしてなさい。

 

じゃあ言わないで、黙って想ってようか!それアリかもなって思ったんです。一番近いんじゃないかと!でも微妙。黙って想ってるうちに、信仰みたいになってるんじゃないかなーと。例えば私がナイロビ姐さん(ドラマ『ペーパーハウス』に出てくる女強盗)を愛しているとする。でも本人には一切知らせず、気づかせず、ずっと想うだけにしておく。そのうち私の心の中で、ナイロビ姐さんを愛しているんじゃなくて、ナイロビ姐さんの姿かたちをした女神を信仰してるんじゃないかって思うんです。芸能人に憧れてるのとあんま変わりない。与えない愛は愛なのか。LOVEは動詞だとマッシヴアタックも歌ってるだろ!ダメです。

 

ここらへんも説明するの難しいなぁ。つまりナイロビ姐さんを想うことは「無償」かもしれませんが、「愛」なのかすごい微妙ってこと。心の中で想像すること、意識することは自由です。でも私の脳内の「愛しいナイロビ姐さん」と現実の「ナイロビ姐さん」はイコールじゃないと思うんです。だから脳内で想っている限りでは、「現実のナイロビ姐さんを愛している」と言えない気がするんですよね。

 

ここまでくると、じゃあ愛ってなんだよって思うよね。ごめんね。

 

じゃあギリシャ哲学から入ろうか。4種類に分類されます。
ストルゲ:家族愛。互いに慈しみ感謝を捧げること。
エロス:性愛。恋愛初期のパートナーに対する強い情愛。
フィリア:隣人愛、友愛。同胞に対する友情、信頼や結束の心。
アガペー:神から人類に与えられる無償の愛。

 

なんかこんな感じです。近代の社会学や心理学において愛を分類する時は、フィリアを抜いて、3つの愛の形が追加されます。人々の持つ愛がどういう傾向にあるかという研究から6種類の傾向に分けて考えます。どれか1つの形に固定するのではなく、パラメータだと思ってね。
ストルゲ:友愛。
エロス:性愛。
アガペー:自己犠牲的、献身的な愛。
ルダス:恋愛を楽しむ駆け引きなど、遊びとしての愛。誘惑みたいな。
マニア:相手に対する執着や、束縛したいという欲求。
プラグマ:条件による愛。高収入の人がいいとか、巨乳がいいとか、優しいから好きとか、趣味が合うからいいとか。お見合いや婚活もこれですよね。

 

仏教での愛もついでに言いましょうか。
トリシュナ:渇愛。水を飲まないではいられないような、人の根源にある衝動。
カーマ:性愛、愛欲。性的本能。
プリヤ:自己愛
ペーマ:親愛。他人に対する親しみ。
ラーガ:恋愛。特定の相手へ向ける性愛。
プレーマン:慈愛。菩薩様が人に向ける慈悲。
みたいな感じ。仏教は専門外なのでちょっと雑だけど、まあ察して。

 

並べただけかよ。って思うじゃない?愛ってさまざまな対象に持つ感情で、「愛」っていうひとつの単語ではまとめきれない、複雑な感情だと思うんです。だからその「愛」を分類するのは、宗教によって分け方が違うから、宗教が日常に浸透してない日本ではイマイチ馴染みが無いというか、定義がぼんやりとしか入ってこない。それはしゃーないと思うの。お慕いしておりますとか、月が綺麗ですねとか言ってりゃいいと思うの。

 

仏教の方がより詳細というか、人類にはトリシュナやカーマのような愛の衝動が根源にあることを分類で示していますね。哲学者や社会学者(ショーペンハウエルとかサルトルとかフロムとかジンメルとか)は、愛の根底に性愛があると言います。人間にとっての愛は「種の存続という根源と切り離せない情動」と考える学者が主流派。つまり神や菩薩が行う無償の愛(アガペー・プレーマン)と人が行う愛(エロス・ラーガ)は別であって、人類にアガペーは無理!ってことらしい。

 

なんか愛の形にケチ付けまくってると思います?私も半分そう思います。「そりゃーちょっとは見返りがあったらいいなって思ってますけど、それが何か?」って開き直るくらいの方が、人間味があっていいんじゃないですかね。人間の根底には欲・衝動があるんだからいいじゃない。それに「愛」ってラベル付けたんだから、それでいいじゃない。「無償の愛」ってラベルは、我々人類程度に貼れるほど小さくなかったんじゃよ。神様サイズなんじゃよ。な?

 

 

 

人々の行う愛は無償ではないし、不均等ですよ。あんまり見返りがなくてもいいって思うマイペースな人もいれば、イーブンな関係で居たいって天秤に敏感な人もいるし、私に貢ぐ前と後にサーを付けろって怒鳴りつけるサイアナイドも居るわけですよ。

 

人によって愛の表現方法や頻度が異なるのは当然の個性なので、一時的な不均等はいつでも起こり得るでしょう。むしろ私は不均等でないと続かないと思うんです。愛されていると感じたから、自分も愛を表現する。不均等な状態って、恋愛を持続するための原動力のひとつなんです。投げられたボールをキャッチした、次はこっちが投げ返す。たったそれだけのことですが、ボールの状態は2人の間で一時的に偏っています。偏っているからこそ、この次の場面で変化を起こせるわけです。2人ともボール持ってなかったらグローブ持って立ってるだけだからな。ビーバス&バッドヘッドだって立ってる以上の事はしてるからね?

 

無償で与えてるって厚かましく思い込むのは自由だし、イーブンな関係で居たいって思うのも構わないけど、「無償の愛」だと誇りたいのなら、愛する相手がある日突然性別を変えて来ても愛してください。突然モヒカンになっても、Sサイズから3Lサイズになっても、包丁を握ったヤンデレになっても愛してください。それが神レベルのアガペーです。「あなたらしさ」的なてめーの思い込みによる隠し条件付きの愛とか、お付き合い上のタブーを伴う愛とか、それは確かに「愛」だけど、「無償の愛」とは言えない。相手が期待に応えて成り立ってるからね。俺は人間なんで無償じゃねえですって開き直ればいいんですよ。人間風情には限界があります。汚い面もあるだろうし、醜い言い訳もするだろうけど、地に足の着いた愛ならそれでいいんですよ。アガペーを騙るよりずっといい。自分の腕を伸ばした時の広さを知ってる人の方が、取りこぼしが少なくていいですよ。

 

イーブンな関係だって怪しいもんです。それもイデアですよ。毎日全力で愛しちゃう人もいるし、日々の合間にマイペースに愛情表現する人もいるし、普段は潜んでいてサプライズ愛ばっかり頑張る人もいます。愛情表現やペースも個人によって違うから、何を以ってイーブンとするのか難しい。回数x難易度?やだなにそれきもい。そこもね、不均等だからこそ、面白いと思うんですよ。毎日お互いにメロンパンを1個ずつ交換するのが愛とか、そういう画一的な表現だったらつまらないでしょ。僕のはローソンのメロンパン、君のはセブンの。アホか。秒で別れるわ。

 

不均等だからこそ、不意打ちに喜んだり、寂しくて恋しさが募ったりする。そういう波風が立つからこそ、恋愛は面白いのだと思う。自分とは違う愛情表現とペースがあると分かって、それを互いに尊重して感謝し合えるのが、長続きのコツなんでしょう。恋愛における価値観のすりあわせの大半はそこです。元々が違うしバランスも悪い。でも、だからこそ楽しい。舌は1つで、目と耳は2つずつ。発言1に対して、観察と傾聴は2って割合ですよ。手も2本だね。スキンシップも2でしょうか。

 

私の師匠の師匠パールズ御大が詩でこんなこと書いてました。

 

あなたの秘密は私には分からない。
啓示でもない限り。
人と人との間に橋など無い。
あなたはあなた、私は私。
その意味を、推測し、想像し、強調する。
    
私たちは見知らぬ同士、見知らぬ同士のまま。
共有する世界が、二人を渾然一体とさせるのなら話は別だけど。
もっといいのは、あなたがわたしに触り、
私があなたに触ること。
そのときは、よそ者でも親近感に浸れる。

 

前半はいつも言ってますが、他人の事なんざわかんねーんですよ。繋がることなんてない他人なんです。でも、だからこそ、相手が自分とは価値観も歴史も違う他人っていう前提に立って接しないと、まったくわかんねーです。言わないと。聴かないと。

 

後半が普段あんま言わないんですが、今回は珍しく触れます。他人なんだけどさ、共有する世界があって気持ちが一体化したら、他人云々って話はまた別になる。共有って例えば・・・イマドキで言うと・・・スポーツ観戦できるバーとかで、ワールドカップ見て、店内の客全員でうわーって応援してる時のあの昂揚感ですかね。ライヴで全員でトランス的な一体化する時とか。ああいうのは「他人は他人」っていうのとはちょっと違う瞬間だよね。もっといいのは互いに触れる事。本当はこの詩の続きにセックスにおけるオーガズムが最も心身を一体化できる的な話になって行くんだったと思うけど、まあそんな感じ。あくまで他人であることには変わりないけど、でもすごく近しい存在として感じることができる。

 

結局、自分とパートナーは他人で、お互いに聖人君子でもないし、価値観もペースも違う。だから「無償の愛」みたいな実現できない高い理想を持っていても役に立ちません。結局は自分のカードと、相手のカードを照らし合わせるだけのこと。お互いのカードのバランスが悪くても、それが個性なんだからしゃーない。愛は不均等で不安定だからこそ、不意の喜びや、幸せに気づく機会に出会える。「分かってくれない」「これは譲れない」なんて独りよがりなワガママは捨てて、目の前に居る相手にちゃんと舌と目と耳を使いなさい。意地と虚勢を捨てたら、人間身軽になれるからね。

 

この中で愛ゆえに人類の原罪を背負って磔になったことのある者だけが私にヤジを飛ばしなさい。( ※ 感想や意見、質問は誰でも何でもウェルカムです! )

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